前回の記事「絵心がまったくない友人に、お金を払って絵を描かせてみた」

 

前回の記事の最後に、絵の初心者のための「絵をなぞる訓練法」というのを少しお話ししました。

そのなぞる訓練法について詳しくお話しする・・・前に、今回は私がなぞる訓練法をどれくらいやっていたのかなどをお話ししたいと思います。

 

今回は、私のバカさ加減に辟易するような内容となっております。

しかも途中で話が脱線します。

 

・・・これがいつもの通り平常運転の私のブログです。

 

絵をなぞっていただけの1ヵ月

 

「絵をなぞる」関連の本はけっこう出ているようだ。

私はそれらの書籍から絵をなぞるということを知ったのではない。

「絵をなぞる」ということは・・・ピンと思いついたのだ。

 

過去の記事でも少しお話ししたが、私は漫画家になりたいとかいっときながら、漫画そっちのけで「絵の上達法」についてずーーっと考えていた。

「絵の上達には模写をすること」だと先人たちはおっしゃられているが、本当にそうなのか?

本当にそれがベストなのか?

他にもまだ誰も見ぬ、それ以上の上達法が隠されているのではないか?

人間の可能性はまだまだ未知数なはずだ。

まだ誰も見つけられていない楽して、簡単に、画力が伸びる方法はきっとあるはずだ!

そんな考えがどうしても抜けなかった私は、その方法とやらをずーーーっと探してた。

 

で、漫画家を約8年間目指してたわけですが、絵をなぞるということを思いついたのは漫画家を諦める4ヵ月くらい前。

本当になんとなく、「絵をなぞってみようかな?」と思ったのだ。

 

で、最初になぞったのが雑誌に写ってる写真の「手」

その「手」をシャーペンでなぞってみた。

それでなぞり終わった後に、なぞった手の写真を模写してみた。

そしたらビックリするくらいサラサラと簡単に模写できた。

 

これは・・・画期的だ!

 

私は過去の記事で、画力が上達するためには「模写」を推奨してきた。

模写したものは、脳に描いたものの姿、形が入るのだと私は考えている。

だから何度も模写したものは、スラスラと模写できるようになる。

 

でもそれは必ずしも模写でなければならないのだろうか?

このようになぞることによっても、なぞったものの絵や写真が脳に入っていくのではないだろうか?

 

実際、さっきなぞったものを模写したらスラスラと描けた。

これは・・・模写などせずとも、なぞるだけでいいのではないか!?

なによりなぞるというのは模写よりはるかに・・・楽だ! 簡単だ! 画期的だ!!

 

・・・このようにしてバカが一人、なぞるということに魅了されてしまったのだ。

 

 

この後の私は「なぞる」ということを1ヵ月間ずーーっとやってた。

ずーーっと。

「なぞる」ということだけをずーーっと。

 

どういうふうにやってたかというと、例えば一冊の雑誌があるとする。

私は漫画を描くために、背景とかファッションとかの資料はそこそこ買ってた。

BOOKOFF(ブックオフ)で安く売ってる雑誌とかを適当に買いあさってた。

その雑誌を1冊、1ページ目から載ってる写真をなぞる。

それが終わったら次のページの写真をなぞる。

それが終わったら次のページを。

また終わったら次を。

次を。

 

・・・このようになぞり続けるのだ。

ただ・・・なぞり続けるだけなのだ。

 

「それって本当に意味あんの?」と思われる方もいると思う。

 

意味はねぇ・・・ないです。

 

まるでなかったです。

 

1ヵ月後にやっとこのバカは気づくのだ。

1ヵ月間さんざんなぞって、さぁどれくらい上達したのか絵を描いてみたら・・・まるで上達してなかったです。

 

 

※)さっき「手」をなぞったら、なぞった「手」の写真がビックリするほどスラスラと模写できたと言ったので、意味はあるんじゃないか?と思われるでしょう。

それなのになぜ上達しないと言えるのかは、後に「絵をなぞる」について詳しく解説する記事を作るつもりなので、そちらで説明します。

 

 

オリジナルの絵を描くのが怖い

 

普通はさ・・・本当に上達するのか、1ヵ月間なぞり続ける前に確認する。

なぞり続けて3日目くらいでイラスト描いてみたりとか、再びまた模写してみるとか・・・普通はする。

それなのになんで1ヵ月間もただ黙々となぞってるだけだったのか・・・

 

・・・私がバカなのは、このブログを読み続けてる皆様にはすでに周知の事実なのだが、私がなぜ上達を確認するためのイラストを描いたりしなかったのかというと・・・理由は、

 

私は絵を描くのが好きではないから。

 

もう少し詳しく説明すると、私は自分でイメージして絵を描くのがあまり好きではないから。

 

絵を描く人って、自分で好きなようにイメージして絵を描かれるじゃないですか。

それをツイッターや、pixivなんかに投稿したりする。

それは模写とかではなく、本当に自分のイラスト。

自分のオリジナル。

私はそういうオリジナルの絵を描くのが、あまり好きではないのだ。

 

もう少し詳しく説明する。

そのオリジナルの絵が上手いのならいい。

私が描いた絵が上手いのなら、私も描いてて楽しい。

でも下手なのだ。

下手だから描きたくないのだ。

描くのが怖いのだ。

自分の下手な絵を見たくないから・・・だから描かない。

私は昔から、自分の本当の画力からずーーっと逃げつづけてる。

そして最終的には、いつも模写に逃げる。

模写ならある程度は上手く描けるから、だから模写は好きだ。

でもオリジナルはさっぱりなのだ。

 

模写が嫌いという人もいる。

そういう人は模写をしようとしてもつい、自分の絵に置き換えてしまうらしい。

模写したものを自分のオリジナルの絵に変えてしまうらしいのだ。

「模写しなきゃ上達しないのに・・・だから私はダメだぁ~」みたいなことをツイッターで嘆いてる人がいたけど、私から言わせるとそっちの方が絶対いいよ?

漫画家のようなオリジナリティを必要とするものを目指されてるのなら余計に。

そうやって模写とオリジナルを組み合わせて描かれる方が脳的にもすごくいいと思う。

 

私はそういう人がうらやましい。

オリジナルの絵を楽しく描ける人が本当にうらやましい。

とにかく・・・私は本当に画力が上達するまで、オリジナルの絵から逃げつづけているのだ。

模写を35歳になって再び始めたのも、そういう理由あってのことでもある。

 

そして、絵をなぞり続けてた理由をもう一点。

「なぞる訓練法」の無意味さを知るのが怖かったから。

長ーーいこと絵の上達法を考え続けてきた。

ああでもない。こうでもない。

色々やってた。

それでついに見つけたと思った。

でも「なぞる」ということもけっきょく無意味かも?

・・・それを知るのが怖かった。

これでもなかったと知るのが怖かった。

だから・・・それに向き合うことをせず、なぞり続けていたのだ。

ずーっと。

1ヵ月間逃げてたんだよ。

 

 

効率の悪い努力

 

「1ヵ月間もなぞり続けて、よく飽きないね?」

そう思われる人もいると思う。

 

これがねぇ・・・飽きなかった。

もし「なぞる」ということだけで絵が上達するのなら、私は10年でも20年でもなぞり続けられる自信がある。

なぜ飽きないかというと、私は努力の「量」に快感を覚える人間だから。

 

どういう事かというと、まず一冊の雑誌を用意する。

その雑誌の写真を1ページ目から模写・・・あるいはなぞる。

それが終わったら次のページ。

それも終わったら次のページ。

そうやって1冊の雑誌を模写・・・あるいはなぞり終える。

終わったら次の雑誌へ。

その雑誌も同じように模写、あるいはなぞる。

終わったらまた次の雑誌。

それも終わったら次の雑誌・・・。

 

このように模写、あるいはなぞり終えた雑誌が4冊になったとする。

「4冊の雑誌を模写(あるいはなぞる)し終えたんだ・・・すごいな私」

で、5冊し終えたらもっと快感。

6冊ならもっと。

7冊ならさらに。

 

・・・このように、努力が目に見えた量となってわかると私は快感なのだ。

だから・・・何事にも遠回りなのだ。

普通ならまず目標を立てる。

目標の先に向けて最優先で努力する。

 

例えば・・・サッカー漫画を描きたかったとする。

だったら、サッカーを中心に情報を仕入れる。

サッカー漫画を描きたいのだから、サッカーを中心とした本を読む。

サッカーを中心とした絵を描く。

サッカー漫画を描きたいのだから、サッカー関連の絵を模写する。

シュートしてる人間。

パスしてる人間。

ドリブルしてる人間。

サッカースタジアムやボール、ユニフォームなど、サッカーを中心としたものを描くだろう。

必要なものだけ描くことを重ねるだろう。

それ以外は描かないだろう。

だから目標に向けて、ズバッと最優先に向かえる。

だから目標に到達するのが早い。

 

私は違う。

アレもコレも描く。

雑誌に載ってるものは、アレもコレも描いてしまう。(漫画家を目指してた頃は雑誌に載ってる「人間」しか描いてなかったけど)

本だってアレもコレも読む。

読んだ本が多ければ多いほど、私は頑張った快感を得られるからいろいろ読んじゃう。

だから広く浅----く情報を仕入れてしまう。

絵だって、広く浅------く描けるようになるだけ。

 

いや、ほんと・・・絞れよ?(一応、これでも絞ってるつもり)

 

一応、目標あってやってる

 

たぶんね・・・このブログを読んでる多くの人が、私のことを意味不明だと感じてると思う。

「何がしたいんだコイツは?」と思ってると思う。

絵の上達法とか自分で探しつづけたりとかさ・・・いい歳してまた模写を始めたりとかさ・・・意味わかんないんだけど?

何がしたいのほんと?

そう思ってると思う。

わかってる。

漫画家になりたかったのなら、漫画家になる努力だけしてりゃいーんだよ。

毎月10万以上の収益をネットで得たいのなら、そのための努力だけしてりゃいーんだよ。

まったくもってそう思う。

しかし私は気になったことがあると、それから逆らえなくなる。

それをやりたいと感じたら、やらない限りずーーっと苦痛になる。

 

ここからちょっと胡散臭い話になる。

そしていろいろと失礼なことを言うが・・・聞いてほしい。

 

私は人間というものは皆、産まれもっての使命をもってると思ってる。

それは犯罪者だって・・・皆そう。

その使命は一見、無意味だと思われることもすべて意味があると思ってる。

それが「意味がある」「意味がない」かの定義は、すべて人間が決めたことだ。

神が決めたのではない。

 

例えば・・・スポーツなんかは生きる上では、無意味さに満ちていると思う。

野球は、手に収まる大きさのボールを投げる。

打つ。

走る。

捕る。

 

 

これら一連の動作をするけど・・・私生活で何か役に立つのだろうか?(走るは役に立つけど)

生きる上で何か役に立つことなのだろうか?

ボールを150㎞の速さで投げたとして・・・それが何か役に立つの?

それを打ち返して・・・その技術が私生活で何か役に立つの?

その打ち返されたボールを捕って素早く一塁に投げる。

それが何の役に立つの?

このように、野球の技術は普通に生きる上ではとくに役に立ちゃしない・・・と思う。

 

カーリングなんかはとくにそう思う。

氷の上で「ストーン」と呼ばれる石を滑らせる。

それをゴシゴシとこすって滑りを測って、中心の印に近づける。

 

 

一見するとちょっと滑稽なんだけど。

 

でもこれらは世界が意味のあることだと認めた。

「スポーツ」という枠組みとして意味のあることだと人間が・・・世界が認めた。

だから・・・それらができる人たちは尊敬される。

お金も貰える。

 

「スポーツスタッキング」という競技がある。

あの・・・カップをカパカパカパカパとスピードを競って重ねたりするやつ。

 

 

アレなんか、とくに意味あるのだろうかと思う。

見てて果てしなく滑稽なんだけど。

でも・・・意味あるんだろうね。

なんせ世界が認めた競技なんだからね。

このように、一見すると無意味とも思えることでも、世界が認めれば意味をなされる。

 

「ワインソムリエ」とか呼ばれる職業もあるが、ワインの味を飲み分けることができるのだそうだ。

ワインに興味のない私は「それがどうしたの?」て感じだけど、世界が認めてる職業だからきっと凄いんだろうね。

 

だったら・・・「土壌ソムリエ」とかあってもいいんじゃない?

世界の土壌を砂や土の臭いや味で判断するの。

砂や土を口に含んでモグモグするなんて、どう考えてもキチガイの所業だが、世界が認めたらきっとそれも意味をなされると思うよ?

 

動物のウ〇コを判別する「ウ〇コソムリエ」とかも世界が認めたら・・・これは100%キチガイの所業だが、でも世界が認めたらこれだってきっと尊敬されると思うよ?

 

つまり私が言いたいことは「意味のある、ない」はすべて人間が・・・世界が決めたこと。

だから今は無意味とされることでも、後に世界が認めたら意味のあることとして注目される。

今まで意味のあることだと思われていたことも、後に世界が無意味と判断したのなら、意味のないことだと判断されるという事。

いや、もっと言えばマスメディアかな?

マスコミが「すごいよー。コレすごいよー。この人すごいよー。今注目されてるよー。」と報道すれば、人を簡単に洗脳することができる。

今人気のあることや、注目されてることはすべてマスコミがうまいこと誘導した結果なのだ。(ネット社会になって、その洗脳が解かれつつあるけど)

 

不倫して異様に叩かれたベッキー。

同じく不倫したのに、とくに叩かれなかった浜ちゃん(浜田雅功)

同じ罪なのに、マスコミが叩くように報道したか、しなかったかで世間の目は大きく違った。

 

そんな怪しい定義で決められた「意味ある、なし」より、自分でやるべきだと決めたものをやった方がいいのではないかと私は思う。

 

「バシャール」と呼ばれる人がいる。

その人はチャネリング(霊的存在・神・宇宙人・死者などの常識を超えた存在と交信して情報を伝達すること)ということができるのだが、バシャールは「自分のワクワクに従え」と言っている。

「自分のワクワクすることは、すべて自分のやるべきことだ。だからワクワクすることをしなさい。」

みたいなことを言っていた。

私はその考えになんか納得できた。

だから私は、自分が今やりたいことをやる。

それは今は無意味だと思えることでも、後に意味を成す気がするから。

それは1年後とかではなく、5年後、10年後、20年後・・・もしかしたら死ぬ前に、やってたことの意味がわかるかもしれない。

現に私が病気や不眠症で苦しんでたことだって、私自身が変わる良いきっかけになったし、他のブログで体験談を語って、一応誰かの役には立ってはいるようだ。

漫画家を目指しながら漫画家になれなかったことだって、こうしてブログで一応誰かの参考にはなってるようだ。

当時は自分がブログをやるなんて、欠片も思っていなかった。

一見意味をなさないことでも、後にやってた意味がわかる・・・かもしれない。

 

 

私は何事も長ーーい目で見てやる。

今こうして金にならんブログをやってることも、模写やオマケ漫画なんかプライベートな時間や休日潰して描いてたりすることも、なんとなくやった方がいいと思ってるからやってる。

 

私は今後も、意味がないと思えることも、何となくやった方がいいと思ったら・・・やる。

 

そしてこれ以上は無意味だと感じたら・・・やめる。

 

誰が何と言おうと。

 

今回の記事は・・・何なの?

 

なんか話が盛大に逸れたね。

え~っと・・・何の話をしてたっけ?

「なぞる」の話をしてたのか。

 

え~っと・・・「なぞる」という行為を1ヵ月くらいやってたと言いましたが、実はまだやってました。

その後もやってました。

たぶんトータルで考えると・・・2~3年くらいはやってたと思う。

そこのところはもう長くなっちゃったから次回に回していい?

今回なんか盛大に話がそれてしまったけど、これが本来の私のブログだよ。

今後も好きにやりまっす。

それじゃまた次回で。

 

追記

 

2018年の3月にこの「リネイシア」というブログを一旦休止しました。

そして8月からこうしてまた投稿を再会し始めてます。

8月に投稿した記事はすべて休止前に書いた、書き溜めの記事です。

今回の記事もそうです。

 

で、今皆さんが読んでくださっている「追記」という欄は、休止後に書き加えた現状報告です。

今回の記事でお話ししている「絵をなぞる」という記事の続きを読みたい方には申し訳ないのですが、続きを書けなくなりました。

いつか続きを書くかもしれませんが、今はちょっと無理になったんです。

 

本当に申し訳ありません。

 

いろいろ問題が起こっちゃったんです。

その問題とやらを次回からお話ししようと思います。

その前に、なぜブログを休止したのかの理由もお話しさせていただきます。

 

本当は今回の記事を投稿して、また休止に入る予定でした。

それが問題が起こったことによって予定変更せざるを得なくなりました。

 

Googleの気まぐれで全部ダメになった。

全部・・・。

 

ちくしょう・・・。

 

 

 

 

次の記事「ブログを休止した理由。アンチが湧いて、いろいろ疲れて・・・」