前回の記事「漫画家編集者の漫画を見る目は本物か?才能のない私の負け犬の遠吠え

 

私は2006年頃から漫画家をめざしはじめた。

 

漫画家をめざしてた記事「漫画家をあきらめたオッサンのブログ

 

そして2013年末、漫画家を諦めた。

 

なぜ諦めたかの記事「まんが家王に俺はなる!!・・・だめ・・・無理・・・

 

 

期間にしてみれば約8年。年齢で言えば24歳~31歳くらいまで目指していたということだ。

 

その8年間の記事「私が漫画家を目指した約8年間の軌跡。はじめます

 

24歳といえばもう社会人として落ち着いている人は落ち着いている年齢だ。結婚して子供だっている人もいるだろう。

なぜ私がこんな年齢から漫画家ないんていうハードルの高い職業を目指しはじめたかというと・・・

 




 

人生ダメダメだった。ただ生きているだけだった

 

皆さんは今現在、なにか目指している夢はあるだろうか?あるいはあっただろうか?

なにか頑張っていることはあるだろうか?あるいはあっただろうか?

私はなかった。

昔からなまけものでゲームが大好きだった。だから学校に行っている以外はほとんどゲーム漬けだった。ダラダラとゲームをするか漫画を読むかの人生だった。

学校の勉強なんてテスト前に一夜漬けするくらいだった。なので成績は下から数えたほうが早かった。

夜中までゲームしてるもんだから常に寝不足で学校は遅刻や欠席がしょっちゅうだった。

そんな人間が社会に出てうまくやっていけるはずがないのだ。

 

私は働くようになっても同じだった。

仕事から帰ったら夜中までゲーム。眠い目をこすって仕事。しんどくなって仕事を休む。そして辞める。仕事なんて長続きしなかった。私は職を転々としていた。

もし私が学生時代の頃にオンラインゲームやソーシャルゲームがあったら・・・きっととり憑かれたようにやっていただろう。・・・ゾッとする。

社会で生きていくことがこんなにも難しいことだったなんて・・・。

 

私は学生時代の頃「自分は学校を卒業したら普通就職して、普通仕事して、普通恋人つくって、普通結婚して、普通子育てして、普通定年を迎えて、普通死ぬ。」

そう思ってた。そう信じて疑わなかった。それが人生というものだと。

だが働きだしてからわかった。普通に生きるということがどれだけ難しいかが。

 

普通に生きることの難しさ

 

漫画の「行け! 稲中卓球部」の顧問、柴崎先生がこう言っていた。「普通がいちばん難しい」

 

普通が一番難しい

 

卓球部キャプテンの竹田が「将来の自分」をテーマに作文を書かなくてはならなくなった。

ここではじめて自分の将来について考えた竹田は驚く。「俺は将来何になるんだ?」

 

自分の将来

 

別になりたいものも、夢もない竹田は将来の自分が想像できなかった。

ここで同じ部員の前野や井沢に茶化される。「キミは普通に生き 普通に死ぬ」「つまり彼はもう死んでいるということですね」

 

普通に生き 普通に死ぬ

 

顧問の柴崎先生は竹田に「普通に生きることはとても難しく、とても立派なことだ」と竹田を励ます。

 

普通に生きることは立派

 

しかしこの言葉は竹田や周りの部員の誰の心にも響かなかった。

 

人生の敗者?

 

そして学生時代にこの漫画を読んだ私の心にも。

しかし働きだして・・・社会に適応できない自分を見たとき、柴崎先生のこの言葉が思い出された。やっとわかりましたよ柴崎先生。

 

 

兄が何かやりはじめた

 

ゲームするだけの毎日だった。ゲームするために生きていた。

このままじゃいけないことはわかってた。でも何をどうすればいいかわからなかった。

「ゲームやめればいいじゃん」と思うだろうが、子供の頃からずっとやり続けていたゲーム。もう完璧に「ゲームをしなければならない」という思考回路だった。

ゲームをやめるという考えが思いつかなかったし、「ゲームやめればいいじゃん」という言葉は当時の私にとっては「息しなければいいじゃん」と同じくらい「何言ってんだ?コイツ・・・」と思わせる言葉だった。

 

人生つまらなかった。生きてるのがつまらなかった。いつ死んでもよかった。私の心にはきっとカビが生えていたのだ。

両親にとっては本当に迷惑な子供だっただろう。すいませんパパン。ママン。

そんな日々の中、2歳上の兄が机に向かってなにやら絵を描き始めたのだ。必死に模写していた。

 

模写・・・なつかしかった

 

私は子供の頃から「絵が上手い」と言われていた。学生時代の私はそういう位置づけだった。

しかし私は「絵が上手い」と言われるのが嫌いだった。

たしかに私は周りの子供に比べて絵が上手い方だった。しかしそれはあくまでも「模写が」・・・だ。

私は子供の頃から「模写なんてしょせん対象物を見ながら描くだけのコピー機の真似事。こんなの練習すれば誰だってうまくなる」・・・そう思っていた。

そして真に絵が上手い人というのは何かを見ながら描くんじゃなく、頭の中でイメージして絵が描ける人。オリジナリティあふれる創造性をもった絵を描ける人こそが本当の「絵が上手い人」だと思っていた。

その考えは今も変わらない。

私はそっちの才能はさっぱりだった。何かを考えて描いた絵は幼稚園児並だったのだ。

私はしょせん模写の対象物がないと絵が描けない「絵が上手い人(笑)」だったのだ。

だから「絵が上手い人」と言われるのは恥ずかしくて嫌だった。

 

だが学生時代は模写をたまにやっていた。模写することは好きだった。社会人になってからはまったくやらなくなったが。その模写を26歳の兄がやりだしたのだ。

私はきいた。「なんで絵描いてんの?」

兄は言った。「漫画家になる」

 

・・・・・

 

何言ってんだ?コイツ。私はそう思った。

漫画家?なれるわけないじゃん。現実見ろよ。・・・見たくない現実がそこにあるだけだった。

兄「お前もやってみたら?」

 

・・・・・

 

この言葉は今でも覚えてる。俺が・・・漫画家?

 

兄弟で漫画を描いていた子供時代

 

幼稚園の頃だったか、小学校低学年の頃だったか・・・年齢は忘れたが、兄とよく漫画を描いて見せあいっこしてる時期があった。

ドラゴンボールが絶大の人気をほこっている時期、ちょうどピッコロ大魔王と少年時代の悟空が戦っている時期だった。

ピッコロ大魔王

その影響か、とにかく誰かと誰かがひたすら戦っている漫画を描いていた。

ストーリーなんて無いにひとしくて、内容も棒人間のようなキャラが殴る蹴る。エネルギー波をうって大爆発と、とにかく戦うだけの漫画だった。

漫画を描きあってた時期は短く、それ以降漫画なんてお互い一切描かなくなったがあの時は楽しかった。当時のあの記憶がよみがえった。

漫画・・・また描いてみようか・・・。

 




 

それからの私の目標は漫画家になった

 

目標ができた私は生活も変わった。とにかく空いた時間に絵を描いて必死に漫画家になるための努力をはじめた

 

・・・・

 

・・・わけもなく、相変わらずのダラダラとした生活だった。

 

え? 話の流れからして普通はここで必死になるだろ。 だって?

 

ゴメン! これノンフィクション。

 

漫画やアニメのようなフィクションならここで必死になる流れなんだろうけど・・・そんな人間簡単に変われませんぜ?旦那。

「バクマン」の主人公、真城くんは漫画家が目標になったら「時間がもったいない」っていって必死に絵を描き始めたよね。

 

時間がもったいない

 

でもあれはヒロインの亜豆の存在があったから。

「描いた漫画がアニメになったら亜豆と結婚できる」っていうご褒美があったから。

 

結婚してください

 

私にはそんなのないしぃ~。応援してくれる女の子もいないしぃ~。それじゃ頑張れないしぃ~。無理だしぃ~。

 

すいません。私はそんな簡単に変われなかった。

ま、まぁでもここからボチボチ絵を描いていったんだ。24歳からの(23歳だったかな?)スタートだね。

 

 

そのあとは・・・ずいぶん長くなったので今回はこのへんで。

次回は漫画家を目指しはじめた私はどうなっていったのか書いていきます。またまた私個人のことなのですが読んでくれると嬉しいです。

長文お読みいただきありがとうございました。ではまた。

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